富士山が世界文化遺産に登録されました。また松本の夏といえばサイトウ・キネン・フェスティバル松本です。今回の展示は音楽と富士山の浮世絵の二本立てとしました。
劇場と音楽の関わりを示す作品として鳥居清長の出語り図五点を展示いたします。そのうちの一点は大和文華館館長浅野秀剛氏によって清長最後の出語り図と確認され、浮世絵史の上でも重要な作品であることが判明したものです。

左: 鳥居清長、 右上: 歌川国貞 右下: 葛飾北斎
【富士山の文化】
富士山は江戸の人にとって単なる美しい山ではなく、食行身禄(じきぎょうみろく)という修行者が享保十八年(1733)七月十三日に富士山七合目の烏帽子岩で断食行の末、入定(にゅうじょう、高僧が死ぬ)しました。身禄を敬慕した江戸の人たちはいたるところで富士講を組織し、富士登山と同じ功徳があるとされる富士塚を築きました。天保三年(1832)は身禄の百回忌に当たり、富士を描いた浮世絵がその前後に出版されました。天保二年に葛飾北斎の「富嶽三十六景」の刊行が始まったのはよく知られています。渓斎英泉「冨士山夏山北口登山之図」は富士講による冨士登山の様子を描いた注目すべき作品です。北斎の三保の松原図は謡曲「羽衣」に取材したもので、世界文化遺産登録に復活した三保の松原への祝意を込めて展示しました。

渓斎英泉・富士山夏山 北口登山之圖
【日本の音楽Ⅱ】
長崎を通じ、中国から渡来した楽器に月琴があります。長崎で月琴を演奏する中国人の絵、歌川広重の近江八景に描かれた月琴、明治に入り大流行した月琴の諸相を展示しました。日清戦争の影響で月琴の流行が止んでしまったのは残念なことでした。今回は橋本周延(ちかのぶ)の作品を中心に展示しました。
また幕末の黒船の来航から西洋音楽も入ってきました。横浜の居留地では行進曲を演奏しながら軍隊が行進しました。商人たちもバイオリンやアコーディオンなどの様々な楽器を持ち込みました。明治になると日本人による西洋音楽の演奏、小学唱歌などによる普及など、今日の洋楽隆盛の基礎が築かれました。歌川貞秀や周延を中心に展示しました。
歌川豊国・今様娘五人囃子

大清人男女之圖 渓斎英泉・當世好物八契 歌川国貞・當時高名會席盡

小学唱歌之略圖

ペルリ像
松本では毎年五月に「工芸の五月」というイベントが開催されます。すぐれた手わざのクラフト製品は松本の重要な地場産業で、松本にお越しになったお客様方から高い評価を受けています。
江戸時代にも優れた工芸作品が全国各地で製作されました。なかでも松本喜三郎らによる生人形と呼ばれる人形は人間そのものを再現したともいえる工芸品でした。江戸では見世物として人気を集め、歌川国芳や歌川豊国らが生人形の浮世絵を競作で描きました。
当館の見世物のコレクションは多く『見世物研究』の著者、朝倉無声が収集した浮世絵や引札を貼り込んだ『観場画譜』によります。見世物の研究の第一人者であった無声は東洋文庫蔵『観物画譜』、西尾市立岩瀬文庫蔵『武江観場画譜』『摂陽観場画譜』という見世物の貼込帳を制作しました。『観場画譜』もそれらに匹敵するものです。
最初に江戸後期の手妻(手品)の第一人者ともいうべき柳川一蝶斎の見世物小屋の外側の看板をご覧ください。一蝶斎は「うかれの蝶」という手妻を大成し、今日、藤山新太郎氏によって継承されています。「うかれの蝶」その他の手妻(てづま)芸を、浮世絵を通してご鑑賞いただければ幸いです。
続いて竹沢藤次の独楽(こま)の芸をご覧に入れます。単なる曲芸ではなく、カラクリという江戸工芸の粋と融合した芸であることがわかります。曲馬その他、江戸の見世物小屋の芸をお楽しみいただいた後は、籠細工やギヤマン細工がございます。
そして最後に松本喜三郎の至芸の作品の数々を描いた作品をご覧に入れます。喜三郎は熊本出身の細工人ですが、安政元年(1854)に大阪で生人形(いきにんぎょう)の異国人物などの見世物興行が好評を博し、翌安政二年二月十八日から江戸浅草奥山で竹田亀吉製作の大象の模型を加えて興行を開始したところ、大評判となりました。その時も国芳らによって浮世絵作品が制作されています。
松本喜三郎は安政三年正月十五日にも生き人形の興行を行いますが、前年十月の安政大地震で劇場等が被災し、娯楽に飢えていた江戸の人に歓迎され、多くの浮世絵が出版されました。この時の招き看板は近江のお兼、中に入ると浅茅が原の一つ家の故事、為朝、粂の仙人、水滸伝、吉原の遊女、特に被災者の救済に当たった吉原の佐野槌屋の遊女黛の髪結い姿、忠臣蔵、鏡山といった盛り沢山な場面を見世物小屋そのまま、浮世絵で再現してみました。
さらに松本喜三郎の成功に刺激され、その年の三月からは深川八幡宮で大阪から呼び寄せられた大江忠兵衛の生人形が興行されました。こちらも多くの浮世絵が残され、忠兵衛作の安達が原の一つ家の鬼婆を、喜三郎作の一つ家の老婆と比較してご覧いただくのも、松本の蝋人形館ならではの趣向と存じます。

當世見立人形之内 粂の仙人 (朝倉無声旧蔵) 安政3年1月(1856)

柳川一蝶斎 「うかれの蝶」 芳重筆 弘化4年(1947)

竹沢藤次 独楽(こま)の芸 国芳 筆

一田庄七郎 籠細工 関羽と周倉 国貞 筆 文政2年7月(1819)

松本喜三郎 生人形 観世音霊験 国芳 筆 安政3年1月(1856)
第16回スズキ・メソード世界大会が松本市で開催されます。スズキ・メソードは創始者の鈴木鎮一先生の「全ての子供を立派に育てることこそが豊かで平和な世界を創る」という理念に基づき、大きな成果を挙げてこられました。鈴木先生は松本とも縁が深く、松本の誇りといえます。
当館ではスズキ・メソードに敬意を払い、浮世絵の中に描かれた西洋音楽の受容について皆様にご覧に頂きたいと考えました。 日本人はバイオリンを見たときに、その演奏法を理解できませんでした。そのためバイオリンを撥で弾くような絵が描かれました。そのそばでは三味線が弾かれ、音楽が世界共通のことばであるということが無意識に理解されていたことがうかがえます。そして日本の民衆が最初に耳にした西洋の音楽、それは横浜に駐留した各国の軍楽隊のマーチであったことも理解されます。やがて西洋音楽は上流階級の中に定着し、同時に小学唱歌として学校教育の中で歌われ、今日の日本社会に定着していきました。浮世絵を通してご覧いただけたらと存じます。
また江戸時代の終わりから明治にかけて大流行したのが月琴でした。浮世絵には多く描かれ、これも合わせてご鑑賞いただけたらと思います。月琴は中国から入った楽器で、日清戦争のときに敵性楽器として廃れました。中国からの音楽も清楽と呼ばれて日本文化に大きな影響を与えました。音楽は豊かな文化を創造します。鈴木先生の「豊かで平和な世界を創る」という志の大切さがこれからも理解できます。
なお四月からは江戸時代の工芸の最高傑作の一つである松本喜三郎らによる生人形を描いた浮世絵を中心とした、江戸の見世物小屋を再現した展示をおこないます。こちらもご覧いただければ幸いです。

横濱異人商館之圖

大調練之圖
今年は巳年、それにちなんだ絵はたくさんあるのですが、富士講の蛇は季違い、肝を冷やすような絵柄のものは夏向きと、作品の選定に苦しみました。縁起よければすべてよし、正月にちなみある七福神のその一人、歌麿描く不忍池の弁財天に景気の回復を祈り、毒蛇のあぎとを逃れる国芳の讃岐は志度の玉取り、辰から巳への歳替わり、さらなる飛躍と、理屈はをつけてみましたが、とどのつまりは、世間では当たり前、当館では初めての試みの、十二支にちなんだ動物を描いた作品を展示することとなりました。
信州の山々を描いたことで知られる吉田博の虎の作品や、貞秀の横浜絵、古いところでは政信のネズミ、広重の大短冊も取り混ぜて、浮世絵の博物館が転じて動物園となりました。初めて展示する作品も多く、お楽しみいただければ幸いです。

『絵本太閤記』は豊臣秀吉の生涯を描いた武内確斎作、岡田玉山画による江戸時代後期の小説です。「絵本」という名の通り、多くの挿絵が魅力の小説で、大阪の板元(出版者)から寛政九年(1797)に初篇が、享和二年(1802)には第七篇が刊行されました。
文化元年(1804)五月に江戸で絶板となり、大阪では板元から板木が回収されました。その時に歌麿や豊国が処罰されたことはよく知られています。
絶版の原因として、秀吉の生涯を題材にしたことが幕府の禁忌に触れたと指摘されてきましたが、最近では寺社奉行・脇坂安董の異議申し立てが原因であった可能性も指摘されています。
絶板とはなりましたが『絵本太閤記』の挿絵は浮世絵師たちにも魅力的な作品の材料でした。秀吉を、弁慶や牛若丸、聖徳太子などの歴史的人物になぞらえて描きました。また、人気があった加藤清正は、武内宿禰や歌舞伎で使われた佐藤正清などの名前で多く錦絵に登場します。
特に国芳は『絵本太閤記』に構図を求めて多くの作品を描きました。今回の展示では、『絵本太閤記』に題材を求めた国芳とその弟子の芳年を中心とした作品を並べました。




