ホーム企画展 富士山の文化&日本の音楽Ⅱ

2013年7月2日~9月29日

富士山の文化&日本の音楽Ⅱ

富士山が世界文化遺産に登録されました。また松本の夏といえばサイトウ・キネン・フェスティバル松本です。今回の展示は音楽と富士山の浮世絵の二本立てとしました。

劇場と音楽の関わりを示す作品として鳥居清長の出語り図五点を展示いたします。そのうちの一点は大和文華館館長浅野秀剛氏によって清長最後の出語り図と確認され、浮世絵史の上でも重要な作品であることが判明したものです。

 富士&音楽2

左: 鳥居清長、 右上: 歌川国貞  右下: 葛飾北斎

 

【富士山の文化】

富士山は江戸の人にとって単なる美しい山ではなく、食行身禄(じきぎょうみろく)という修行者が享保十八年(1733)七月十三日に富士山七合目の烏帽子岩で断食行の末、入定(にゅうじょう、高僧が死ぬ)しました。身禄を敬慕した江戸の人たちはいたるところで富士講を組織し、富士登山と同じ功徳があるとされる富士塚を築きました。天保三年(1832)は身禄の百回忌に当たり、富士を描いた浮世絵がその前後に出版されました。天保二年に葛飾北斎の「富嶽三十六景」の刊行が始まったのはよく知られています。渓斎英泉「冨士山夏山北口登山之図」は富士講による冨士登山の様子を描いた注目すべき作品です。北斎の三保の松原図は謡曲「羽衣」に取材したもので、世界文化遺産登録に復活した三保の松原への祝意を込めて展示しました。

  英泉

渓斎英泉・富士山夏山 北口登山之圖

 

 【日本の音楽Ⅱ】

長崎を通じ、中国から渡来した楽器に月琴があります。長崎で月琴を演奏する中国人の絵、歌川広重の近江八景に描かれた月琴、明治に入り大流行した月琴の諸相を展示しました。日清戦争の影響で月琴の流行が止んでしまったのは残念なことでした。今回は橋本周延(ちかのぶ)の作品を中心に展示しました。

また幕末の黒船の来航から西洋音楽も入ってきました。横浜の居留地では行進曲を演奏しながら軍隊が行進しました。商人たちもバイオリンやアコーディオンなどの様々な楽器を持ち込みました。明治になると日本人による西洋音楽の演奏、小学唱歌などによる普及など、今日の洋楽隆盛の基礎が築かれました。歌川貞秀や周延を中心に展示しました。

豊国・五人囃子 豊国・五人囃子
 
豊国・五人囃子

歌川豊国・今様娘五人囃子

 大清人男女之圖  英泉・当世好物八契  歌川国貞・當時高名會席盡

大清人男女之圖                渓斎英泉・當世好物八契         歌川国貞・當時高名會席盡

小学唱歌

小学唱歌之略圖

 ペルリ像

ペルリ像

 

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